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『青天を衝け』草彅剛の妻役は川栄李奈!慶喜の正室・美賀君(みかぎみ)はどんな人?〜『青天を衝け』キャスト情報〜

2021年の大河ドラマ『青天を衝け』は、吉沢亮さん演じる渋沢栄一を中心にストーリーが展開していきます。

渋沢栄一は「資本主義の父」と呼ばれ、500もの企業設立や育成に関わったことでも有名ですよね。

現在も渋沢栄一の恩恵を受ける企業は多く、有名どころではいすず自動車キリンビール清水建設川崎重工業新日鐵住金などが挙げられています。

現在の基盤になる資本主義社会を創ったと言われている栄一ですが、実は徳川家との関わりも深く、江戸最後の将軍である徳川慶喜とは生涯に渡って関係を築いていました。

『青天を衝け』では、草彅剛さんが徳川慶喜を演じています。

そして、その正室を演じるのが女優の川栄李奈さんです。

川栄李奈さんといえば、「可愛い」と話題の人気女優!

そこで今回は、あまりスポットの当たらない慶喜の正室・美賀君(みかぎみ)について紹介していきます。

川栄李奈さんの可愛い姿にも注目ですね!

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正妻 慶喜と美賀子(下) (講談社文庫) [ 林 真理子 ]

 

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草彅剛の妻役は川栄李奈!慶喜の正室・美賀君はどんな人?

大河ドラマ初心者、アラサー女子のあんずです。

今回は慶喜の正室・美賀君(みかぎみ)の話だよ。

初めて聞く名前だけど・・。川栄李奈ちゃん、可愛い。

そこ?美賀君は寂しい結婚生活を送ったって言われている慶喜の正室だよ。

渋沢栄一が主人公の物語『青天を付け』では、一橋慶喜(後の徳川慶喜)との出会いが栄一の人生を大きく変えることになります。

そして、その慶喜の正室となるのが一条美賀子(美賀君)ですね。

まずは一条美賀子(美賀君)の年表から見ていきましょう。

一条美賀子(美賀君)の年表

一条美賀子の生涯を年表に表したものがこちらです。

西暦 年齢 出来事
1835年(天保6年) 0歳 実父である今出川公久の元に生まれる。
1853年(嘉永6年) 18歳 一条忠香の養子になり、疱瘡で罹患した千代君の代わりに徳川慶喜と婚約。
1855年(安政2年) 20歳 11月15日に結納が行われ、同年12月3日に徳川慶喜と結婚する。
1858年(安政5年) 23歳 7月16日に女子を出産するが、3日後の20日に夭折。その後慶喜が将軍後見職となった為、長い別居生活に入る。
1866年(慶応2年) 31歳 夫である徳川慶喜が将軍職に就く。
1868年(慶応4年) 33歳 慶喜は将軍職を返上し謹慎生活を送る。この頃「省子」から「美賀子」へと改名する。
1869年(明治2年) 34歳 夫・慶喜の謹慎が解除され、10年ぶりに慶喜と共に暮らす。側室の子を実子として育てる。
1894年(明治27年) 60歳 乳癌を発症し、享年60歳にして死去。

慶喜とはずっと別居状態だったんだ。

約10年間も別居していたって言われてるよ。

別居生活が長く続き、最後は乳癌でこの世を去った美賀君。

ここからは美賀君の一生について、年表を詳しく掘り下げていきます。

 

今出川公久の元に生まれる

美賀君は、江戸時代後期の公卿・今出川 公久(いまでがわ きんひさ)の元に生まれます。(官位は正二位・権中納言。)

公爵って?偉い人の娘ってこと?

簡単に言えばそうだね。公爵は最高幹部として国政を担う職位って意味だよ。

公爵(こうしゃく)とは・・

公家(朝廷に仕える貴族・や官人)の中でも、太政官の最高幹部として国政を担う職位のこと。太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議の高官。

 

 

婚約のため一条忠香の養子になる

幼名を延君(のぶきみ)、諱(いみな)を省子と名付けられた美賀君ですが、生まれた翌年に父が他界します。

鼻筋が通り、京人形のように美しく艶やかな娘として知られていた美賀君。

その後、徳川慶喜との婚約のために一条忠香の養女となり「省君」と改名しています。

美賀君、美人だったんだ!

ガチで美人過ぎる幕末女性 ベスト17(写真あり)(3) | 幕末ガイド』にも載ってるよ。

ホントだ!現代にいても美人だね。

 

徳川慶喜と婚約する

一条忠香の娘・千代君(照姫)と婚約していた徳川慶喜ですが、千代君が疱瘡により死去。

その代役として一条家の養子になった美賀君は、1858年(嘉永6年)の5月に婚約し江戸に下向します。

1855年(安政2年)の11月には結納、そして12月に結婚します。

代役として結婚って、複雑。

昔だからね、そういうこともあったんじゃないかな。

波乱万丈の婚約・・

婚約の為に京へ向かった美賀君だが、途中でマグニチュード7の大地震が発生。一橋邸は大破し、婚姻の日取りも延期になった。

 

 

 慶喜が将軍後見職に就き、別居生活を送る

1858年(安政5年)に女子を出産した省子ですが、3日後に娘が亡くなってしまいます。

その後、慶喜が将軍後見職となったため、慶喜は京へ。

ここから夫婦の長い別居生活が始まります。

1866年(慶応2年)には将軍となった慶喜ですが、京都にいた為に会うことはできませんでした。

そのため省子も、江戸城大奥では生活していません。

約10年も別居生活だったんでしょ?長いね。

大奥でも生活してなかったから、あまり大河ドラマにも出てこないんだよね。

 

美賀君の子供・・

生後まもなく子を亡くした美賀君。

美賀君は病弱だったと言われており、その後子を授かることはなかったと言われている。

 

慶喜は謹慎生活に入り、省子は美賀子へと改名する

大政奉還が行われ、慶喜は将軍職を返上。

その後慶喜は謹慎生活へと入るため、この頃も一緒には暮らしていませんでした。

また、省子は「美賀子」へと改名します。

将軍職を返上した後も、まだ一緒には暮らせてないんだね。

慶喜は謹慎していたからね。慶喜は静岡で謹慎して、省子は東京にある一橋屋敷で生活してたんだよ。

 

 

謹慎生活が解除され、慶喜と共に暮らす

(1869年)明治2年の9月に慶喜の謹慎が解除。

その2か月後に美賀子は静岡に向かい、慶喜と10年ぶりに暮らすことになります。

当時、慶喜には2人の側室がいましたが、その間に生まれた子供はすべて美賀子が実母として育てています。

やっと一緒に暮らせたんだね~

子供たちって、慶喜には全部で21人の子供がいたんだよ。

え~!!すごっ。

徳川慶喜の子供たち・・

2人の側室が24人の子供を産んだと言われている。(流産を含む)側室同士はとても仲が良く、同じ屋根の下でみんな暮らしたのだそう。過保護により若くして亡くなる子も多く、ある時から街の健康な庶民の家庭に預けられたとも言われている。

 

乳癌により60歳で死去

60歳で乳癌を発症した美賀子は、治療のため東京の徳川家達の屋敷に移ります。

高松凌雲により手術を受けますが状態は思わしくなく、1894年(明治27年)の7月9日に死去します。

東京の谷中墓地に墓が建てられ、今でも参拝することができます。

 

 

 美賀君を演じる川栄李奈のコメントを紹介!

徳川慶喜の正室を演じる川栄李奈さん。

「楽しみ」「また女優姿が見られて嬉しい」という声が多い中、川栄李奈さんはこのようにコメントしています。

「実際にとても長い年月を過ごしたような気持ちになる 濃い1日の撮影をさせてもらったり 温かい撮影現場で、これから先も楽しみでいっぱいです」とつづり、「精一杯頑張ります!」と意気込みを記した。台本の表紙の写真を添えた。

出典元https://news.yahoo.co.jp/articles/5269066ed4f0c32811f73bb4953e81663966aa6c

川栄李奈さんは、2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』以来の大河ドラマ出演となります。

ストーリーの重要な役どころとなる徳川慶喜の妻ということで、注目が集まっていますね。

また、草彅剛さんの妻を演じることでも話題になっています。

別居生活が続く寂しい夫婦として有名ですが、今回の『青天を衝け』では、どのような夫婦の形が描かれているのかにも注目です。

 

 \夫・徳川慶喜はどんな人?/

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