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渋沢栄一とはどんな人?すごい経歴を年表で紹介!~簡単にわかりやすい説明も~

大河ドラマ初心者、アラサー女子のあんずです。

2021年の大河ドラマは「資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一が主人公の物語ですね。

新一万円札の顔として話題になった人物ですが、どんな経歴を持つかを知らない方も多いのではないでしょうか。

歴史の授業ってほぼ思考停止してたから、教科書に載ってたかすらわからない。

え、本気で言ってる?

そこで今回は渋沢栄一の一生について、簡単に詳しくまとめていきます。

年表でわかりやすく紹介するので、歴史が苦手な方も興味をもっていただけると嬉しいです。

大河ドラマ好き歴史マニアの夫が紹介します。

よろしくお願いします。

 

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渋沢栄一とはどんな人物?

2024年度の上半期をめどに新一万円札の顔となる渋沢栄一。

一体どんな人物なのでしょうか。

プロフィール
名前:渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
生年月日:1840年3月16日
死亡年月日:1931年11月11日(享年92歳)
出身地:武蔵国血洗島

渋沢栄一は、1840年(天保11年)に現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)に生まれ、1931年(昭和6年)に亡くなっています。

昭和6年って、結構最近じゃん!

そうだよ~。少しは親近感湧いたでしょ?

資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、生涯で約500の企業を設立した偉大な人物です。

 その中には現在までに残る大手有名企業が多数あり、現在も渋沢栄一の恩恵を受けている会社が多く存在します。

現在までに残る代表的な会社がこちらです。

1.第一国立銀行
2.日本鉄道
3.東京海上保険会社
4.田園都市株式会社        
5.東京瓦斯会社
6.東京株式取引所
7.大阪紡績株式会社
8.抄紙会社
9.共同運輸会社
10.帝国ホテル
上はそれぞれ、現在はこちらの企業名となっています。
         ↓
         ↓
1.みずほ銀行
2.JR東日本
3.東京海上日動
4.東急電鉄・東急不動産
5.東京ガス
6.東京証券取引所
7.東洋紡
8.王子製紙・日本製紙
9.日本郵船
10.帝国ホテル

す、凄い。超有名どころばかりだね。

「資本主義の父」って呼ばれるのがわかったでしょ?

ごめん、資本主義って何?

・・・

資本主義とは【自由な経済体制】を意味しています。

働いたらその労働力に応じて報酬が受け取れる仕組みのことで、自由に経済活動を行える社会のことですね。

今や当たり前に自分の職種を選んでいる日本ですが、昔は違ったということですね。

 

渋沢栄一の年表を紹介!

渋沢栄一の一生を年表にまとめたものがこちらです。

西暦 年齢 出来事
1840年(天保11年) 0歳 武蔵国の血洗島で富ある農家の長男として誕生。
1847年(弘化4年) 7歳 従兄の尾高惇忠から漢籍を学ぶ。
1863年(文久3年) 23歳 高崎城を乗っ取り横浜焼き討ちを企てるが、計画は中止に。
京都へ逃げる。
1864年(元治元年) 24歳 後の徳川幕府第15代将軍徳川慶喜に仕える。
1867年(慶応3年) 27歳 徳川昭武と共にパリ万博使節団に向けて旅立つ。
1868年(明治元年) 28歳 明治維新によりフランスから無念の帰国。
1869年(明治2年) 29歳 明治政府に仕え、静岡藩に「商法会所」を設立する。
1873年(明治6年) 33歳 大蔵省を辞めて、第一国立銀行開業する。
1875年(明治8年) 35歳 第一国立銀行の頭取になる。
1876年(明治9年) 36歳 東京会議所の会頭、東京府養育院事務長になる。
1885年(明治18年) 45歳 日本郵船会社を創立。東京養育院の院長となる。
1901年(明治34年) 61歳 日本女子大学校を開校し、会計監督となる。
1916年(大正5年) 76歳 第一銀行の頭取などを辞職。実業界を引退する。
1931年(昭和6年) 91歳 11月11日、永眠。

難しすぎて頭に入ってこないかも。

大丈夫、ここからは年表を詳しくわかりやすく紹介していくよ。

 

 

渋沢栄一の生まれは農家

農民として生まれた渋沢栄一。

農民というと貧しいイメージを持つかもしれませんが、渋沢栄一の実家は「豪農」。

決して貧しい暮らしではありませんでした。

豪農(ごうのう)とは・・
多くの土地を所有していて、ある程度の権勢を備えた富裕農家のこと。

 

勤勉で頭の良い少年

隣村に住んでいた従兄弟・尾高惇忠(おだかあつただ)の影響もあり、7歳から漢籍を学び始めます。

好奇心が強かった渋沢栄一は、記憶力が良く勤勉な少年だったと言われています。

『国史略』や『日本外史』などの書物を使い、勉学に励んだそうですね。

『国史略』と『日本外史』って、何?

『国史略(こくしりゃく)』は江戸後期の歴史書。『日本外史(にほんがいし)』は源平二氏から徳川氏までの武家の盛り上がりを書いた民間による歴史書だよ。

7歳で歴史書か・・。

 

尊皇攘夷を目指すが計画は失敗

23歳になった渋沢栄一は、尊王攘夷(そんのうじょうい)の思想を支持し、高崎城の乗っ取りや横浜の焼き討ちを計画します。

しかし周囲の反対により計画は断念。

その後追われる形で京都へ行き、そこで出会った一橋慶喜に仕える決断をします。

尊王攘夷(そんのうじょうい)とは・・
「王」である天皇を敬い、「攘夷」である外人をしりぞけようとする思想のこと。

 

一橋慶喜って、聞いたことあるかも。

一橋慶喜は、徳川慶喜のことだよ。

渋沢栄一って、徳川慶喜に仕えてた人なんだ!すごい!

そ、そこ?

 

 

パリに滞在し欧州諸国の実情を見聞

1867年(慶応3年)に一橋慶喜が、徳川幕府第15代将軍となります。

渋沢栄一は徳川昭武(徳川慶喜の弟)に随行し、パリの万国博覧会を見学することになります。

約1年半に及ぶ異国での生活で、栄一は様々な実情を見聞きします。

渋沢栄一がパリから日本の家族に宛てた手紙は、今でも残っているんだよ。

へぇ~。外国に行くのがレアな時代に、1年半は長いよね。

この1年半が、後の日本の産業にも活きてくるんだよ。

 

明治維新により大きく変わった日本

渋沢栄一がパリから帰国すると、明治維新により以前の日本とは大きく変わっていました。

「武家中心の政権」は廃止され、西洋人の文明を取り入れたことで、文明開化していました。

栄一は静岡で謹慎生活を送っていた徳川慶喜に会いに行き、静岡藩に仕えることになります。

明治維新って、何だっけ?

明治維新はアジアで唯一成功した近代化への革命と言われる革命だよ。法制・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・・・など、沢山のことがここから変わったの。

 

 

 日本初の株式会社を設立

 帰国後翌年に、日本初の株式会社「商法会所」を静岡で設立した渋沢栄一。

官民合同で株式会社を設立し、殖産興業を進めて静岡藩の抱える借金を返済する仕組みを作ります。

言葉が難しくて、全然頭に入ってこない・・。

渋沢栄一がフランスで学んだ知識を活かして、商社と銀行を合わせたシステムを作ったの。ちなみに会社設立にかかった期間はたった2日だったんだって。

 

「商法会所」を詳しく解説!
日本統一の紙幣を作った明治新政府。
財政的にひっ迫している藩には、石高(玄米の収穫量)に応じた貸付を行います。
これにより各藩は一時的に助かり、政府はその利子を殖産産業の資金にしていました。

静岡藩が借りたのは、約53万両。後で返済に苦しむのが目に見えているよね。

そこで栄一が画期的なシステムを考えたてワケね!

 商社と銀行を合わせたようなシステムを作ろうと考えた栄一は、
「藩が政府から借りた石高拝借金」と「商人の出資」を資本金とし、貸付や買取を行います。
出資者希望者は誰でも出資可能、そして出資金額を問わないのがルールです。
さらには会社に利益が出ると、出資金額に応じて配当金を貰うシステムを考えます。

貸付や買取を中心に行う会社ってことね。

この会社の凄さは「誰でも出資可能」「出資金額が自由」というところ、そして会社に利益がでれば、出資金額に応じて配当金が貰えるところだよ。

つまり・・株式??

そう!今でいう株式の仕組みだよね。この「商法会所」のおかげで、藩の生活が豊かになっていくんだよ。

 

 

 明治新政府の官僚へ

渋沢栄一が頭取を務める「商法会所」を立ち上げた同年、明治政府は渋沢栄一を民部省に迎え入れることとします。

断るつもりでいた栄一ですが、民部大蔵両省で大蔵大輔を務めていた大隈重信(おおくましげのぶ)に説得され、民部大蔵両省に仕官することになります。

民部大蔵両省とは・・
1869年(明治2年)に設置された中央官庁の一つ。土木・駅逓・鉱山・通商など民政関係の事務を取り扱います。その後明治4年には廃止され、大蔵省となっています。

 

日本初の銀行を創立

 役人として国の近代化に貢献した渋沢栄一でしたが、1873年(明治6年)に大蔵省を辞職して民間実業家となります。

その後、日本初となる銀行「第一国立銀行」を創業。

総監役に就任し、1878年(明治11年)には東京株式取引所を設立します。

「第一国立銀行」は、現在の「みずほ銀行」のことだよ。

東京株式取引所は、今の東京証券取引所だよね?

そうそう!実業家で大活躍した栄一は、約500以上の企業に携わったんだよ。

 

社会事業や教育事業でも活躍

実業家だけでなく、約600の教育機関と社会公共事業の支援、民間外交などを積極的に行った渋沢栄一。

その中でも「東京養育院」の運営には、50年以上も関わり続けています。

「国が発展すれば社会的弱者はいなくなる」と考えて躍進した栄一ですが、結果的には貧富の差が広がり「東京養育院」に保護される人が増える現実を目の当たりにします。

「東京養育院」とは・・
困窮者や病者、孤児や老人や障害者の保護施設として営まれていた施設。
現在の福祉事業の原点にもなっています。

国が発展するほど貧困者も増えてしまうって、悲しい。

資本主義は、良い部分ばかりではないってことだね。

 

実業界を引退し外交に注力

76歳で実業界を引退した栄一は、民間外交に力を注ぎます。

69歳の時に結成した「渡米実業団」を通して約3カ月アメリカに渡り、当時の大統領やトーマス・エジソンと面会した記録が残っています。

トーマス・エジソンって、あのエジソン?

そう、発明家のエジソンだよ。

 

渋沢栄一は生涯青春と呼ばれるほど、勢いのある人生を歩んだ偉人です。

2021年大河ドラマの主人公には、ぴったりの偉人ではないでしょうか。

生涯青春かぁ~

かっこいいよね。

今後も渋沢栄一について(簡単にわかりやすく)紹介していくので、興味のある方はチェックしにきてください。

大河ドラマ『青天を衝け』の情報についても紹介していきます。

 

\『青天を衝け』情報はこちら/

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\渋沢栄一の人柄と名言/

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